気持ち・精神論

熊本地震から1年:現地の今とカメラマンに出来ること

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熊本地震から1年。
仕事のご縁から、熊本県阿蘇市を訪れました。

今の熊本を目にし、被災地の人々と話し、感じたことを写真と共に綴ります。

阿蘇は何も変わらない

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この写真は20年前、日本一周の時に撮影した阿蘇です。
あまりの美しさに、当時は世界遺産だと思い込んでいたほどでした。

土地の恵みを受け、たくましく生きる人々の笑顔と優しさに、勇気を頂いたものです。

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宿へ向かう途中に見た、根子岳(ねこだけ)です。
相変わらず、いびつな形をしています。

阿蘇神社

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まず『阿蘇神社』へ、ご挨拶に伺いました。
こちらも、地震の影響を大きく受けており、とても驚きました。

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倒壊当時の展示写真です。
かなり、酷い状態だったようです。

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それでもこの場所に、不思議と強さを感じます。

飲食店の方に伺ったのですが、本震では全ての食器やビンが落ち、大変な想いをされたそうです。しかし、店だけは残してくれたことに感謝し、阿蘇神社へお礼参りを欠かさないとのことでした。

断層の地割れ

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絶景の朝。

この日は、被災現場を案内して頂きました。

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あちこちで、山の崩落が見られます。
雨の多い地域ですから、季節になると避難生活に切り換えるそうです。

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この地域の断層は大きくズレ、地割れが起こりました。住宅への被害もありましたが、大半が田んぼだった為、地元の方は『まだ良かった』と話していました。

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近くの学校は閉鎖。
未だに、復旧の目処は立っていません。

追記:2021年3月7日『新阿蘇大橋』として開通。崩落から、4年11ヵ月という驚きの速さでした。

 

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印象的だったのは、地割れから咲くタンポポの生命力。
『わざわざ、ここを選ばなくても』という想いとは別に『ここから始める覚悟』と『土地へのこだわり』を考えさせられました。

阿蘇大橋崩落現場

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阿蘇の玄関口として、観光では必ず渡る『阿蘇大橋』です。
ここに橋が掛かっていたことが、嘘のように感じます。

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一気に崩れ落ち、全てを飲み込みました。

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復旧工事をする重機は、無人の遠隔操作です。
またいつ崩落が起こっても、おかしくはない状況が続いています。

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向こう側に、橋のたもとが見えます。
地元の方も、この事実だけは信じられなかったそうです。

 

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この地域には東海大学があり、それに伴いアパートや店がありました。しかし、大学が閉鎖になれば人が集まらなくなり、アパートや店舗の経営が出来なくなります。

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道路は寸断され、鉄道は復旧せず、現在も『どうにもならない状況』だと言います。

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阿蘇大橋のそばにある、セブンイレブン。

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店舗裏はこの状態で、近付く事も出来ず、店内は当時のまま。

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今後、どうすればいいのか。
いくら考えても、答えの出ない状況を目の当たりにしました。

復興の兆し『産神社』

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阿蘇市狩尾地区にある『産神社』を訪れました。

数十年ごとに乳白色の水が湧くことから、安産や縁結び、母乳の出を良くする神社として信仰を集めていました。しかし、昭和35年の大干ばつで水量が減少し、乳水も見られなくなったそうです。

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しかし、熊本地震直後から再び水が湧き始めました。

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地震が原因で水が枯れてしまったところもあり、特に農家は困っていましたが、産神社の湧き水は、全ての田んぼを満たしたそうです。

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2本が対になっていたスギの木ですが、台風により1本が倒されました。
現在はその後継木が、移植されています。

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震災の絶望を目にした後に癒してくれた、ここはまさしく『パワースポット』です。

カメラマンに出来ること

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震災の現実は『悲惨』そのものです。
これは東日本大震災の現地を訪れた時に、痛感したことでもありました。

撮影すること自体が、不謹慎ではないだろうか。
今、自分に何が出来るだろうか・・・。
そんなことを、考えていました。

しかし、ようやくこの問いに、自分なりの答えが出せた気がします。

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津波が奪って行ったもの『3.11東日本大震災』地震が教えてくれたこと

目を背けずに見て欲しい あの日を忘れないために

写真の力は絶大です。

今を撮り、今を残す。
それが悲惨な現実であっても、必ず役に立つ時が来るのだと信じています。

自分に出来ることをやる。

今回、被災地で多くの表情を撮ることが出来ました。
結局、巡り巡って行き着く先は、人々の笑顔なのだと思います。

熊本城

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最終日、熊本城に立ち寄りました。
近付くことは出来ませんでしたが、テレビで見るよりも損傷が酷いと感じます。

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観光の拠点なので復興を望みますが、石垣の修復はかなり複雑なようです。

被災者との感覚の違い

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『復興支援』に対して『どうしたらいいのか分からない』という意見が聞かれます。
義援金が届かなかったり、風評被害が出たりすることは確かなので、迷ってしまうのは当然です。

しかし今回、被災者の方と話すうちに、分かったことがありました。
それは、支援側と被災者側の感覚の違いです。

現在、阿蘇は過疎化が深刻です。

土地の起伏が激しい為、崩落個所の復興は進んでいません。
それに伴い道路は『ミルクロード』一本しか通れない為、常に大渋滞してしまいます。
鉄道は廃線となり、通勤通学すら普通が叶わない状態なのです。

単身赴任のような形になったり、引越しを余儀なくされたりと、大好きな土地を離れなくてはならない現実があります。

人がいなくなれば、どんどん廃れてしまいます。

これにはまた、原発問題とは違う深刻さがあるように感じます。
『地域で学び、地域で働く』これこそが、本当の復興なのでしょう。

今回、お話を伺った方は、被災者でありながらボランティア団体に参加されており、被災地の生の声を直接聞くことが出来ました。

今の現状を、多くの方に知ってもらいたい。
今はどうする事も出来ないけれど、知ってもらうことで何かが変わるはず。

とても印象に残る言葉でした。

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九州には美味しいものが、たくさんあります。
水も自然も人間も、全てが素晴らしい。

だから、また行きたいし、復興しないわけがないのだとも思います。
カメラマンとして、今後も力になれたらと願っています。

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