旅日記

旧中山道を行く

投稿日:2012年12月20日

部屋の窓から見える位置に、国道17号線はある。別名『中山道』だ。
子供の頃から、お世話になっている道路で愛着すらある。

出発点が日本橋だとは知っていたけど、まさか京都まで続いていたとは驚きだった。

東海道が海ルートなら、中山道は山ルート。
その距離、およそ540km。
昔の人は、この道を歩ったというのだから、すごい。

分かった、分かった。
ちょっと、見てくるから。

えっ 京都までは行きません(・_・;)
僕も暇じゃないので。

日本橋

日本橋と言えば、橋の上に橋。
初めて行った時は、う~んと思ったけど。

よく見て見ると、すごいよね。

道路元標は橋の真ん中にあるんだけど、車にひかれそうなので、横にあった複製で良いにしました。

こういうのって、やっぱりワクワクします(/ω\)

お隣には、お三越。

そうそう、昔は建物とか少なかったから、地図によると本当の道は、この壁を突き抜けていたんだけども。

まぁ、迂回しますわ。

何だか見覚えのある街並みと思っていたら、秋葉原じゃんか~(≧∇≦)/
特に都内は普段、電車で行くから断片的にしか繋がっていないんだけど。

こうして歩いてみると、わりとお隣さんだったりする。

旅の安全を願って、神田神社でお参り。
『宝くじが 当たりますように・・・』

さすが、歴史街道。
普通に、こんな御宅が残されていたりします。

うーん、かわいい家(・∀・)

これが、あの赤門。
東京大学ですわぁ。

なぜか、入口で女の子がホッカイロを配っていました。

入学したかったけど、きっと答案用紙に名前書いて終わりそう・・・。

さぁ、やって来ました。
おばあちゃんの原宿。

巣鴨!!

ねぇねぇ、パンツ何色?

えーっ! マジで~♪

都電荒川線、渋いっすね~。

踏切を渡ると見覚えのある電車が。
埼京線ですね~。痴漢で有名な(≧∇≦)/

ここが1つ目の宿場町『板橋宿』

えーと、お宿は?
あっ、アパホテルが見えた(+o+)

板橋宿

かつて最も栄えたとされる『板橋宿』です。
道路の起点は日本橋だが、旅人はここで宿を取り、ここから出発した。

現在でも長い長い商店街が、当時の面影を残している。

商店街入口で、うさぎがお出迎え。
長い旅のイメージとしては、うさぎより亀じゃないかと勝手に思ったりもする。

板橋宿とは『平尾宿・仲宿・上宿』からなっている。

旅人だけではなく、お見送りの人達も訪れていたそうで、飲食店や酒場が数多くあったそうな。

この橋の名前は『いたばし』

なるほど、これが地名の由来なのかぁ。

『清水坂』は、結構な坂でして。

ついつい、駆け登りたくなる坂の一つである。

!?

あぁ、カカオかぁ。

東京都は、ここまで。
橋を渡れば、埼玉県です。

地震の時は、多くの人がこの橋を歩いて渡って帰ったんだろうなぁって思ったりします。

こういう案内板って、ほっとします(・∀・)

戸田の渡し跡。

こんな大きな川に橋をかけるなんて、よーく考えてみると、すごい事だよっ。

古民家や蔵って、こうして歩いてみると、まだ残っている。
長く使うって、何かいいよね。

カメラも、そうありたいものです。
埼玉に入るとそろそろ『蕨宿』です。

蕨宿

蕨宿のある埼玉県蕨市は『日本で一番小さい市』で有名ですが、旧街道を残そうという意気込みに、かなりのやる気を感じます。

のぼりは、いたるところに。

マンホールも、リニューアル。

すごいのは、道路を玉砂利や土色で表現しているところ。

テレビで水戸黄門が歩いているような、古道のイメージが伝わって来ます。

あっ、そろそろ年賀状やらなきゃ。

中心部には、資料館。
この日は残念ながら、休館日でした。

カッコイイわぁ。

築何年やろ~?

浦和市に入ると、道が狭すぎて危険です。

『焼米坂』

この辺では昔、焼米を売る店が何件もあったそうな。
そもそも、焼米って何じゃい?

調べてみると、米を籾のまま炒って搗いたもので、おやつや携行食にしたそうです。
お湯を注いで戻すと、美味しいとか。

うーん 食べてみたいのぉ~(・∀・)

この辺りから、街並みはにぎやかに。
もうすぐ『浦和宿』です。

浦和宿

浦和宿は、旧浦和市。
現在の、さいたま市ですね。

県庁所在地でもあり、なかな歴史のある街です。
学校や職場がこの辺だったので、思い出の地でもあるんです。

浦和と言えば、浦和レッズ。
街のいたるところが、赤いんです。

名物は、鰻。
いかにも、内陸の平野という感じ。

シンボルである、調神社。
別名、調宮神社(つきのみや)として地元の人々に愛され続けています。

素敵な雰囲気。
パワースポットでしょ。

旧中山道沿いに、市場跡も。

京浜東北線の西口から東口へ。

この辺、昔は東口の方が栄えていました。
と言うか、西口には何もありませんでした。 

いきなり近代的な、ビル群が現れます、
鉄道の街、大宮の操車場跡が、こんな事になるとは。

お馴染、さいたまスーパーアリーナですね。
入ったことないけど・・・。

大宮宿周辺が、見えます。

左が、ソニックシティー。右が、大宮そごう。

並木が、だんだん大木に。

どうやら『大宮氷川神社』が近いようです。

大宮宿

大宮宿と言えば、大宮氷川神社。
地元なので、今更どうこうしようとは思わないけれど、やっぱり知らない事も多い。

例えば、この参道。
実は日本一の長さで、全長2kmもあるそうな。

そうそう横浜の氷川丸は、この氷川神社から名前をもらったそうな。

初期の時代は、参道を通っていたそうです。
その後、高島屋辺に宿場が出来たようですが、今やもう、何の面影はありません。

宮原駅を越えた辺りから、こんな石碑が現れます。
古ければ古いほど、興奮します。

しかし大宮宿って、何もない。
日本橋から歩いて来て、何も目印の無い宿場町は、初めてなんです。

僕が、見つけられなかっただけ?

地元だけに、残念です。

上を通るのが、新大宮バイパス。

ちなみに中山道とは、古い方から行くと『旧中山道』
続いて、国道17号線の『中山道』
国道17号バイパスの『新大宮バイパス』

時代と共に、3本に増えました。
その一番古いのと一番新しいのが、ここで最初で最後だがけど交わるのです。
昔の人は道の上に、こんな大きな道が通るなどと、考えもしなかっただろうね。

とっても古い、加茂神社。

古いのに残る物って、やっぱり、かっこいい!!

探せば色々、残されているのね。

近隣の9社をまとめて、建立されたそうな。

地酒の酒粕から作る漬物。
江戸時代から続く、河村屋さん。

現在は、9代目だそうな。

ここで、さいたま市とはお別れ。
いよいよ、上尾市へ。

これは、道標と言って、いわゆる道しるべだそうです。
『川越へ三里』と刻まれていて、一里は4km弱。

なるほど、西に12kmで小江戸川越なのね。
3時間は掛かるかぁ。

愛宕神社は建立から、290年。
しかし、神社が多いこと。

1社づつ、お参りしていたら破産しそうなので、手を合わせるだけにしました。

さてさて間もなく『上尾宿』です。

上尾宿

旅を続けていると、その土地の名産が気になります。
上尾宿はその昔、紅花の栽培が盛んだったそうで、大きな仲買問屋の家が今でも残されています。

この地で目を閉じてみると、一面が黄色に染まる花畑。
そして、悪代官に小判を渡す問屋の主人が、まぶたの裏に見えるようです。

上尾氷川神社です。
そう言えば神社って、同じ名前が沢山あります。

地域によっては、同じエリアのかなり近い場所にもあったりして、分かり辛いとさえ思う訳で、正直なところオリジナル名を名乗って欲しい。

上尾宿って、古くからあるのね。
旧中山道が整備される前から、すでに宿場町だったようで、400年以上の歴史があります。

旅人を長きに渡り、ほっとさせてきたんだね。

どうやら、そば屋さんが日本刀を売ってるらしい。
インパクトのある、副業。

何かと思ったら、ペット屋さんのお車でしたかぁ。
乗るだけで、ちょっと恥ずかしいかも(/ω\)

もうすぐ『桶川宿』です。

桶と川で、桶川。
うーん、川で洗濯というイメージでしょうか。

ひたすらに歩いていると、地名の由来が気になります。

桶川宿


学生の頃はマラソンをやっていて、体力には自信がありました。
しかし、20代前半に出場した10kmマラソンがなかなか辛くて、フルマラソンは無理かもって実感。

現在では、10km歩くのもなかなか大変って思います(/ω\)

立ちっぱなしの仕事で、ちょこちょこ歩いているつもりでも、実際に万歩計を付けてみると、あまり動いていない事が分かります。
健康な人であれば、歩くって当たり前の行為。でも、それが便利過ぎる世の中で、失われているのも事実なのですね。

20kmも歩くと、まだ体力は残っているものの、足に何らかの違和感が現れます。
そんな、おとろえに傷付いてしまう、ガラスのハート、30代です。

そんな時は、焦らず休憩でも(・∀・)
この武村旅館は、未だに営業中{パチパチ}

こちらは、魚屋さん。
超カッコイイ!!

桶川宿って、そのまんま時代だけが流れて来たような感覚になれます。

忍者が、潜んでいそうです。
瓦屋根から、さっと飛び降り、刀を突き付け『金を出せっ』って。

おっと、それはただの、おやじ狩りですね。

桶川宿と鴻巣宿の間にある『北本宿』

旧中山道宿場町には制定されていませんが、お茶屋さんなどがあったそうです。
現在では、当時の熱い想いも、この先の鴻巣宿に吸収合併されています。 

旅人のみなさんは一日で、30km~40kmも歩いていたそうな。

そんな生活が3週間も続くわけで、しかも途中リタイアとかは、ありえないし。

現代人には絶滅してしまった、強いハートがあったのでしょう。

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