『観て欲しい』『聞いて欲しい』『気付いて欲しい』など被写体は何かを発しているのだと思う。だから撮る側の一方的な想いではない。
写真には空気が写る
こんなことを言うと、宗教っぽさやスピリチュアルさを感じさせてしまうかもしれないが、そうではない。カメラは機械だから設定通りの画が写る訳で、それ以上でもそれ以下でもないのだが、同じ場所で同じ機材を使ったとしても仕上がりは異なってくるものだ。
完璧に作り過ぎたり欲張り過ぎれば、どことなく『つまらない』とうい印象を受けてしまうものだ。
ではなぜ、そういう結果になってしまうのだろうか?
答えは簡単。主役が主張せず脇役が出しゃばってしまうからだ。そうなれば画はフラットになり、伝わりにくくなるのだ。もちろんこれは、絞りがどうのという意味ではない。
見え方の心理だ。 撮る側は、試行錯誤しながら理想のアングルを探す。しかし、それだけでは写真は成立しない。撮られる側に輝いてもらう必要もあるからだ。それは光だったり影だったり、存在感だったりもする。
波長を合わせ話しかけ聞き取るわけで、どことなく人と人との関わりにも似ている。だから花を撮る時『かわいいね、きれいだね』というのはとても大切なこと。
実際に声に出さなくてもいいけれど、心の中ではつぶやいておきたい。 冒頭の『観て、聞いて、気付いて』とは人を輝かせる欲なのだと思う。
これは人に限らず風景にも当てはまることで、日が射したり風が吹く瞬間などを、じっくりと待つことなのだ。願わなければ、きっとそのタイミングを逃してしまう。
一眼レフが一番簡単だから使う
カメラにも色々なタイプがあるし画質のこともあるのだけれど、最近のレンジファインダーだって映りは素晴らしい。それでも僕が一眼レフを選ぶ理由は『簡単だから』ということになる。
要は被写体と会話をしやすく、空気感を感じ取りやすいという意味だ。それにより多少の余裕ができ、タイミングを作りやすくチャンスを逃さないという形ができる。
探す力
『頑張っても報われず、認めてもらえない』『口先だけの奴が昇進して行く』という話を聞くことがある。やがては組織の歯車ということに気付きやる気を無くし、最低限の力しか出さなくなるというもの。
その頑張りや能力は分からないけれど、何れにしてもあまり良い環境とは言えない。『下は這い上がり、上は引っ張り上げる』というのが理想なのではないだろうか。
実は写真にも同じことが言えて『良い被写体を探し、伸ばす力』というのが重要になってくる。パッと見の感覚も大事だが、画の構造を理解するということは広い視野にもつながって行く。
脇役にスポットを当て主役に昇進させるというのは、アイデアの柔軟性としてはとても面白いことだし、表現の重さや深さが増すという利点もある。
カメラマンには必ず『飽き』がやって来る。それをなるべく回避する為にも『次の一手』を常に持ち合わせていることが重要なのだ。だから想像しよう、手詰まりほど、恐ろしことはない。