ちょいとタイトルが大げさかと思うんですけどね。ギックリ腰って人生に置いて、結構な痛手だったりするのです。出会わない幸せ。それでも運命のイタズラは、必ず訪れるものなのです(/∇\*)
そもそも腰痛と出会ったのは、十代の後半。そう、青春の真っ只中。
突然現れたあなたは、一瞬で僕を釘付けにしました(T-T)
起き上がることもできず、寝返りも打てず、ただただ腰痛との時間を過ごしました。
けれど知れば知るほど腰痛をかばうように、僕は自然と優しくなれたことを覚えています。これは僕にとって初めての感覚で、だからこそ共に生きて行こうと、この時心に誓ったのです。
『辛くない』って言ったら嘘になります
しかし時は流れ、始めて出会った時の気持ちは段々と薄れて行き、いつしか腰痛のことを忘れてしまうこともありました。慣れない社会生活の中、忙し過ぎた僕は腰痛の気持ちを、あっけなく裏切ってしまっていたのかも知れません。
当時の僕は仕事に追われ無理をし、整体にも行かず、今考えてみればいつ怒らせてしまってもおかしくない環境にいました。健気で辛抱強く、それでいて普段は穏やか。本当は僕に言いたかったことも、たくさんあったとも思います。だけど僕は、そんな気持ちに気付いてあげられなかった・・・(-_-)
不安定なフワフワとした感覚が続き、そして突然その日は、訪れました。
ぐきっ! (>_<) ぎゃ〜 ○| ̄|_
あれから何度か、同じようなことがありました。
違う整体を点々とし、埋めることのできない心のミゾを矯正しました。けれど、それは一時的なこと。何の確信も得られないまま、ずっとさまよい続けていたのでしょう。
その都度反省をし、そして関係を修復する。そんなことの繰返し。
それでも決して見捨てるようなことはなく、腰痛はいつも僕を許してくれました。今は共に暮したこれまでの時間が、僕らの距離をグッと近づけてくれたようにさえ感じます。
けれど、いつまでも甘えているわけには行きません。腰痛には腰痛の、僕には僕の幸せというものがあります。
だから僕は腰痛と、さよならします^_^
おしまい
※次回は、まじめに書きます<(_ _)>
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腰痛・ギックリ腰から学ぶ、これからの人生 その2
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190812追記:この記事を書いてから4年が過ぎました。それなりに色々ありましたが、あれから一度もギックリ腰になっていません。努力が結果と結び付いて、嬉しいです。