表現したかったものと違う。
想い通りにコントロールができない。
カメラマンにとって、きっとそんな悩みは一生付きまとうのだろう。
写真とは検証
他人の写真に、敗北感を感じる事がある。
『人は人、自分は自分』そう割り切っているつもりでも、強烈なストライクゾーンを見せ付けられると、結構ショックを受けるものだ。自分には、まだできない事がある。何が足りないのかも分からずにもがいている中のダメージは、かなり大きいのだ。
何かを学ぶという事は、マネをすることだと思う。
それをモノにできた上で、自分なりの味付けをする。
ある意味、限られた世界なのだから仕方のない事だ。
だからこそ、やりつくすわけで、やらなければ見えては来ない。
答えとは自分らしさ
写真は大まかに『記録写真』と『芸術写真』の2種類がある。
どちらも簡単ではない。
記録ばかり撮るとつまらなくなり、芸術ばかり追うと意味が分からなくなる。
しかも、両者の共存は難しい。
僕の思う良い写真とは『どちらの要素も違和感なく取入れ、主張の強い片寄った写真』だ。とはいえ、なかなか代表作になりうる写真は撮れない。
それでも見返した時『自分らしいなぁ』と思えれば、現時点で正解なのだと思う。
プロの品質
最近思うのは『良いとか悪いとか』を基準にするのではなく、カメラマンは最低品質の高い作品にしなくてはならないと思う。それは解像度であったり、方法が最善だったりということ。
良しとされるものは時代によって大きく変わり、誰かの発言で簡単にすり変わることも多い。必ずしもそれは、その道の人ではなかったりする。
『らしさ』とは自分にたいしても嘘のない自分だと思う。
だから基準は自分で決めるしかない。
誰に何と言われようと、揺らいではいけないことが一つぐらいあってもいいと思う。