以前、写真好きな方と話した際、あるドキュメンタリー映画を勧められた。
きっと、他の人の情報だったら流してしまったかも知れないが、その方のアート感性は別格なので、これは『お知らせ』だと思った。
『ビル・カニンガム&ニューヨーク』
カメラマンに必要な要素が全て詰まった映画なので、プロアマ問わず写真を志す方に、是非、観て頂きたい作品だ。
ビル・カニンガム
ビル・カニンガム氏は、ニューヨークの街でファッションを撮るカメラマン。
写真家ではなく、パパラッチでもなく、記録を目的とするスタイル。
そして彼は『最高のファッションは、常にストリートにある』と断言する。
自転車で街を走り、好みを頼りに写真を撮る。ファッションショーで、興味のない衣装はスルーする徹底ぶりだ。『華やかなシーンだけではなく、全てを見ないと分からない』と至る所に自転車で乗り付ける。
ニューヨークタイムズを拠点に『社交界とトレンド』という掛け離れた2つのテーマのコラムを持ち、政界からストリートまでのリアルなファッションを網羅することで、誰にも真似出来ない表現を打ち出して行く。
有名どころのオファーは、ことごとく断る。お金により生じる命令を嫌い『そうさせてはいけない』と、自身が撮りたいものを撮る信念を貫いた。
部屋には、ネガ収納のロッカーばかり。
食事に興味は無く、キッチンは撤去させた。
周囲は確実に振り回されており、まさに変人。しかし表現センスは明確であり、彼の指摘が半年後、ファッションの主流に必ず導かれる。
『だって私たち、彼の為に着てるんだもの』とヴォーグ誌は話していた。
87歳で亡くなるまで、ファッション業界に多くの影響を与え、こびることを許さなかった。
映画の感想
カメラマンとして、彼から学ぶことは多い。
しかし『真似出来るか』と聞かれれば『それは無理』と答えるだろう。
例えば、カメラマンとはクライアントのニュアンスを忠実に聞き取り、それに合わせた表現をすることが仕事だと教わっている。もし現場で、自己表現を強く出してしまったら、確実に次回のオファーは来なくなるだろう。
また現代ではSNSの普及もあり、個人のプライバシーが極端なほど過剰になっている。これにより、ストリート採取の自由度は、かなり損なわれていることも事実だ。
ただ『それでいいのか?』と問いた時、明確な答えを出せないから、いつまでも、ほどほどなのだと思ってしまう。
カメラマンにとって、迷いは大敵だ。
それは現場の空気から作品にまで、幅広く影響してしまう。
だから彼のように、大胆に打ち出せたとしたら『伝わる作品』になるのだろう。
ビル・カニンガムのカメラ
使用カメラは、Nikonの『FM2・D3100』などだ。
機材は性能より『携帯性や即効性』重視という印象を受ける。
被写体を見付けた瞬間、とにかく切り取るスピードが早い。
当然、長く撮り続けていなくては出来ない芸当だ。
しかし、そんな彼でも『たいていは撮り損ねる』と話す部分に、共感と愛らしさを感じてしまう。
マイナスを撮らない
私事ではあるが、カメラマンを志すキッカケとなったのが、ケビン・カーターの『ハゲワシと少女』だった。だからいつも『写真とは現実であり、真実を伝えるもの』という意識を持っている。
映画の中で『悪意のある写真は撮らない、撮ろうと思えば、いくらでも撮れたけど決して撮らなかった』という表現があった。
勿論、事実と悪意は別物。
だけど写真とは結果であり、観る側が受ける印象は決して一つではないはずだ。
ビル・カニンガムは、ストリートから輝きを探し喜びとしていた。
『仕事じゃなく、遊び』
だから、このフレーズにマイナス要素は含まれないのだろう。
ファッションとは、日々を生き抜く為の鎧。
この映画を通じ、その勇気をカメラマンは見逃してはならないと強く感じた。